Lucky Life Manのブログ

日記の延長みたいなもの

あなたは神を信じますか!?

あなたは神を信じますか!?

日本人のほとんどは無信者だ。ただ、亡くなったときや合格祈願とかでお寺や神社に行く姿はこっけいでならない。

楽観的と楽天的と2つの似たようなことばがあるが、自分は、楽観的に行きたい。

自分の解釈は

 楽観的・・・やることをやって後は天に任せる

 楽天的・・・やることもやらずに点に任せる

高校野球でよく、甲子園が決まった後その高校で野球部と関係ない生徒が暴力事件を起こして、甲子園を辞退する状況をたまにきく。これは、楽観的に生きていることを意識しないと高校球児としてやってられない。あの、まーくんも確か春の選抜で同じような経験をしていると記憶している。どんなに、努力して栄光をつかんでも自分以外の要因でダメになってしまうのだ。人生、そんなことは山ほどある。

楽天的も使い方かもしれない。例えば、うつ病になってしまい、何もやる気がしない時などは、楽天的に考えるしかない。

まあ、都合のいいようにうまい具合に使い分ければいいんだろうけど、自分には難しいなぁ。自分は甘いからすぐ楽天的な方に行ってしまう。自身がある(変な自身だ)

話はそれにそれたが、日本人は先に書いたタイミングで仏教徒になる。

しかし、49日だの~年供養だの戒名は高いお金を出せば、徳の高い戒名をつけてもらえる。おかしくない!?やくざの大親分で悪の限りをつくした汚れたお金で徳の高い戒名がつけられるのです。

これは、お寺のお金儲けにすぎません。お寺で戒名がつけられたから天国にいけるわけないでしょう。お骨は海にでも流してしまえば済むことだ。霊魂が存在するってことは魂と肉体とが分離してしまうのでしょう!?だったら、肉体なんて燃やしてしまうし、骨は残るけど、なんで、その骨をお寺に預け、お金儲けのためにお金を坊主に渡すのだろう。本当にこっけいだ。合格祈願だって、お金をかければ神様は願いをかなえてくれるというが、じゃ、勉強しなくていいじゃん。

これからが、大事なことだが、小さいころから悪いことをするとばちがあたると言われ教育されてきた。だから、心は汚れていても、ばちが当たるから、悪いことはできないという外発的な影響だ。仏教はこんなもんだ。

キリスト教はというと、悪いことをやるとその分報いがくることがあるが、逆にいいことが続くことがある。そうなると、良心がいたみ、心から悪いことをしてはいけないという内発的な影響が与えられる。本来の生き方ではないか。

宗教も何が良くて何が悪いかわからない。

ただ、新興宗教の教祖のように人間の心理を利用してお金儲けをしているやつこそ、霊感があるとうそをついてお金儲けしているやつこそ、死んでから真の神様から罰を受け、地獄(ゲヘナ)へ落ちるのであろう。