クリスチャンから見たクリスマス
自分はいろんなことに勧誘されやすい。アムウェイやニュースキンやら。。。。
キリスト教にも勧誘されたことがある。というか、イエスさまに悲しまれてしまうので勧誘という言葉は使わない。
去年の今頃を思い出してみよう。みんな普通のクリスマスイブ、クリスマスを送っていたのではないだろうか。では、今年は!?自粛自粛自粛だ。去年とは全く違うクリスマスイブとなっているはずである。
そもそも、中国の武漢から発生した新型コロナウィルスだが、この武漢は特にキリスト教を弾圧している都市で有名だったようだ。
キリスト教は他の宗教のように人に罰を与えない。罰を与えて、人を動かすということは誰も見ていないところでは悪いことをしてしまうということではなかろうか。
キリスト教では、報いがあるがこれが罰に近いかもしれない。だが、他の宗教と異なるのは恵みがあるということだ。恵みとは、悪いことをしてもきちんと反省すれば恵みいわゆる良いことが与えられるということだ。これは、人間の良心に響き自主的に悪いことをしなくなる。誰も見ていないところでも、悪いことをしないという内的な働きを促すことだ。
人間の罪の贖いのために神様のこどもとしておくられたキリスト
キリストが馬小屋で生まれたことを知っている人は多いと思う。自分も8歳ぐらいのときにその関係の絵本を読んだ記憶がある。
神様は人間として自分の子供をこの世に送り込んだ。そして、生まれるときも普通の赤ちゃんは病院で生まれるが、神の子であるにもかかわらず、われられ人間の罪の贖いのために決して衛生的でない粗末な環境下で生まれるようにしたのだ。
最後は、皆さんご存じのように何の罪も犯していないのに、我々人類のために十字架につけられ殺されたのだ。
これはすべて事実だ。3日目によみがえったとか信じられない人がいるかもしれないが、繰り返しになるが十字架につけられ殺されたまではまぎれもない事実である。
今、世界は米中摩擦などさまざまな問題があるが、最大の問題はコロナだ。これも事実だ。
では、クリスマスを我々の救い主が生まれた日としてお祝いするのはどうであろうか。救ってくださいとお祈りをするのはどうであろうか。結果は、1年後に出る。その時まで、信じる信じないを決めてもいいのではと思う今日この頃である。