Lucky Life Manのブログ

日記の延長みたいなもの

プロレスラーは史上最強じゃないの!?

プロレスが大好きだったころ

 小さいころ、じーちゃん、ばーちゃんの家に泊まるのが好きだった。

 小学校3年生になり、いつものように土曜日に泊まりに行くと、じ

 ーちゃんがあるTVを見ていた。それが、プロレスだった。そのころ

 の自分はG馬場、A猪木ぐらいしか知らなかった。

 自宅では金曜の夜は太陽にほえろを家族で見ていたが、父親が飲み

 会のとき、たまたまチャンネルをまわすとA猪木が試合をしていた。

 G馬場はいつ出てくるのだろうと思ってずっと見ていたが、最後まで

 出てこなかった。後でわかったことだが、日本のプロレス団体は

 全日本プロレス新日本プロレス国際プロレスというものがあり、

 G馬場は土曜の夜8時からの全日本プロレス中継で試合をしていた

 のだ。

 

プロレスにのめりこんだ学生時代

 今から思うとなぜなのかわからない。もしかするとじーちゃんの影響

 でプロレスにのめりこんでいった。金曜の8時は新日本プロレス

 土曜の8時は全日本プロレス、そして、プロレスの雑誌は欠かさず

 買っていた。全日本プロレスに至っては、当時ビデオが家庭に普及

 していない時代で、録音をして後から聞いて、映像を思い出していた。

 そんななか、ミル・マスカラスの入場曲、スカイハイがかっこよくて、

 めったにレコードを買わない自分が、ジグソーのスカイハイを買うまで

 にのめりこんでいった。

 その時代、A猪木が異種格闘技戦を行っていたときで、空手家などさま

 ざまな格闘家と戦っていた。その中でも、クマ殺しウィリー・ウィリア

 ムズとの異様な雰囲気の中で行われた異種格闘技戦は今でも忘れられ

 ない。(それ以前にモハメド・アリ、ウィリアム・ルスカとも戦って

 いたが、小さい頃なので記憶があまりなく、後に、ビデオなどで見た)

 プロレス黄金時代ではあったが、クラスの友達とはほとんで話が合わ

 なくなっていた。それもそのはず、裏番組には、金曜日 太陽にほえろ

 土曜日 8時だよ全員集合が放送されていた時代だからだ。

 プロレスは最強の格闘技と思っていたが、1つ不思議に思っていたこと

 があった。それは、一般も新聞のスポーツ面にのらないことだ。

 ある日、親に尋ねたところ、プロレスはショーだからという信じ

 られない回答が返ってきた。当時は、まったく信じられず逆になんとも

 思わなかったものだ。

 

ミスター高橋の本

 そんなある日のこと、新日本プロレスのレフリーミスター高橋が暴露本

 ともいえる本を出した。その中には、プロレスは勝ち負けがある意味

 最初から決まっているような内容でした。今は、受け入れられますが

 当時はどうしても受け入れられず、単なる金儲けのために本を出した

 んだろうぐらいにしか思っていなかった。だが、Aブッチャーはじめ

 プロレスラー本人も本を出すようになっていった。う~ん。プロレス

 はもしかして、ガチではないのかも、母親の言うようにショーなのかも

 と思い始めた。だが、TVで見るプロレス、会場で見るプロレスは迫力

 まんてんでそんなことはどーでもいいと思っていた。

 勝ち負けがいろんな要素で決まっていてもやはり、プロレスはおもし

 ろかった。

 後で知ったことだが、力道山のときから客を喜ばせるため、ショー的

 要素をとりいれていたようだった。まあ、プロレスの本場アメリカが

 そのようなスタンスなのだからしょうがないか。

 だが、そんなショーマンシップなプロレス界に激震が走ることが起こ

 った。

 

K1の出現

 前田明のリングスなどの出現によりプロレスのショー化が薄れてきて

 ころ、K1ブームが巻き起こる。ガチでの戦いにプロレスとは違った

 面白さがあったと同時に、プロレスラーが出場し負けることも起こり

 始めた。やはり、衝撃的なのはヒクソンファミリーの戦いだ。高田延彦

 らが次々と敗れていく姿を見ると少しさびしさを覚えた。そのような

 状況だからこそ、桜庭が次々とヒクソンファミリーを倒していく姿を

 見ると、今までとは違うドキドキ感に見舞われた。と同時に、プロレス

 から距離を置くようになった自分がいた。